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第198回 3月テーマ
『憲法改正問題を考える』応募論文 |
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憲法改正問題を考える
※ 一人前国家への脱皮を
日本は現在、戦後最大の転換期に直面していることを認識するべきである。今回の湾岸危機は、新しい国際秩序が形成されつつある中で発生した事件である。今度の事で日本は強い衝撃を受けた。それは、経済力の強さに相応した大きな役割を国際政治で演じるよう世界が期待しているのに、国民の大多数が相変わらず「小国意識」しか持っていないからである。また持とうとしないことから生じるズレ、あるいは摩擦が湾岸危機への日本の貢献策をめぐる意見の対立となって、一挙に暴露したからである。また湾岸危機は、国際社会における日本の能力が試されたと言ってもいいだろう。
これは日本の対応如何によっては、国際的孤立という取り返しのつかない事態に陥る可能性を十分秘めていると言えるだろう。
日本は敗戦国という負い目から「戦後体制」といわれる「半人前国家」に甘んじ、米国の庇護のもとで、米国に次ぐ経済大国へと成長した。その土台をつくったのが朝鮮戦争における特需であり、さらにベトナム戦争が高度経済成長の機関車役を担ったのである。つまり、冷戦時代の恩恵が、日本を経済大国にさせたのである。その冷戦時代が終焉した。したがって当然、日本は戦後体制を終焉させなければならない。
戦後体制をどう終焉させるか。それは「半人前国家」から「一人前国家」に変身させることである。「半人前国家」とは言い換えれば無責任国家といえる。国際秩序を守ることや、国家の安全保障を他国に依存したりするような、責任なき国家が「半人前国家」といえる。
これを克服していくには、自衛隊の海外派遣の法整備、有事立法の制定などについて、早急に取り組み、或いは改革して、日本が「一人前国家」であることを、内外に明示すべきである。
こうした改革の基盤の上で、戦後体制の癌と言われている現行憲法を改正するよう着手すべきである。たしかに「憲法」は国家の基本法であり、その改正にあたっては、もちろん慎重さを必要とすることは言うまでもない。しかし、法律の改正が、あるいは修正が、容易に実現しないのは。戦後体制の癌である「現行憲法」に、一度も改正、あるいは修正の努力がなされなかったことと、深く関連するのである。その中で現行憲法における第九条などの条項を、日本国民はもう一度見直し、二十一世紀にかけての世界全体の潮流に沿った方向へ「改正」を進めるべきである、そうすることにより、日本の戦後体制が終わり、「一人前国家」と言えるように成るのである。このことは決して、日本国民全体の利益に反するものではない。
今回の湾岸危機ではっきりしたように、日本には一切の危機管理能力が欠落している。このことも「一人前国家」でない証明である。
※ 幻想的平和主義を捨てよ
ヤルタ・ポツダム体制が崩壊した現在、戦後体制の落とし子である現行憲法にしがみついている必然性はどこにもないのである。今、大切なのは国民全体が「平和憲法」の幻想から目覚め、世界平和にどう貢献するべきなのか、国際的な義務と責任を自覚することが重要である。
諸外国においては「人民は常に憲法を再検討し改革し、変更する権利を有する」一つの世代は将来の世代をその法に従わせることは出来ない。」という言葉もあるように、状況の変化に応じて、憲法改正が繰り返し行われている。
ここで、「憲法改正」の努力を、改正のために必要な手続きをどのような形でとるかを含めて、いまや始めるときなのである。また日本においては、占領軍によって押し付けられた憲法が「不磨の大典」として国民の思考、精神まで縛っているのである。この呪縛から開放されない限り、日本人が世界平和への義務と責任を自覚することは出来ないのである。ゆえに、憲法改正は避けることが出来ないのである。
日本国民は今、世界の現実を直視し「平和憲法」の幻想を捨てなければならない。武力行使を絶対悪としていては、侵略者から平和を守ることは出来ないのである。
シュミット・旧西独元首相がかつて次ぎのように述べている。「日本はどこにも真の友人を持たないことが心配だ。」この発言は、現在の日本の状況を極めて端的に表したものといえるのではないだろうか。
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